先にアップした考古学研究会総会の初日に行われた懇親会の席上、幾人かの方から、私の近著「東の山と西の古墳」に対するコメントを頂戴しました。それが散々な“評判”でした。悪評に包まれている、といった方が正確なところのようです。
大阪市立大学の岸本直文君からは「読みましたよ…!」だけ。後は微笑みで終わり。先の記事で紹介した仙台市の斎野さんからは「10年前のH君はもっとさわやかな印象だったのに、今回の論文には清涼感がない!年配者が書くようなテーマで魅力に欠ける。それよりも沖縄の話の方が面白いから、そちらの方を早くまとめてよ!」との厳しいご指摘。この「年配者」云々の一見奇妙にも響くコメントは、2005年に刊行された『縄文ランドスケープ』が下地になっているからだと受け止められます。天体の運行と縄文遺跡の位置関係を点検した著作で、関東・東北在住の研究者にはなじみ深いはずだからです。その著作に対する学界の大筋での評価を布石にしたコメントであることは、容易に推察されました。沖縄については、ごもっとも、としか言いようがありません。
痛いところを突かれましたが、このように頂戴したコメントのほとんどは悪評でした。岡山大学の新納泉さんも、意味深な微笑みを私に向けるだけだったし。いっぽう長くNHK解説員を務められた瀬戸内港町文化研究所の毛利和雄さんからは「今回の論文は『季刊考古学』とを併読してみれば、Hさんの主張の概要を理解できるでしょう。しかし東遷説のにおわせなど、定説とは異なる多くの含意や仕掛けが眼につきます。ですから国家論を含めた体系的な議論に早めにもってゆかないと、現状のままでは誤解を生みかねない危うさを伴っていますよ」との趣旨の、真に丁寧なご忠告と励ましのお言葉を賜りました。ご指摘のとおりかもしれません。
ただし奈良文化財研究所の石村智君からは「私もこのテーマには興味を抱きます」との、彼ならではのニュートラルで旗幟を控えたコメント。大阪文化財センターの井上智博君からだけ「今回の論文は面白かったです!非常勤をやっている大学の次回の授業で使わせていただきます」との高評価が与えられました。唯一の慰めです。しかし井上君は岡大の後輩ですから、身内贔屓の気配がないとはいえません。
そして最悪だったのは2次会での会話。K大学のS君からは「Hさんの論文を、ここで話題にしてよいものか、今まで迷いに迷いました」で始まり「今回の論文を『考古学研究』はよう載せたな、と心底驚きましたよ」で終わる辛辣なコメント。別のK大学のS君にいたっては「こんなHさんだけの妄想を…よう、そのまま書くわ!それに『始祖霊の住み処』なんて用語、普通の感覚では絶対に使用しないでしょうが!」との捨て台詞。身近な後輩諸君ならでは、の歯に衣着せぬ批判でしたが、大方の雰囲気を代弁してくれたのかもしれません。なお前出のS君からは、中沢新一氏が私の主張と関連する議論を展開しているとの貴重な情報を教えられましたし、後出のS君とも学生時代からの因縁ですが、終始和やかな雰囲気であったことを申し添えます。台詞の紹介だけだと、凄まじい雰囲気だったかに誤解されかねないようです。
さらに岡山県教委の宇垣匡雅さんからも、目立つ誤変換を指摘され「緊張感をもって読んだのに、これでは台無しだろうが」との厳しいご指摘。この点については弁明のしようもなく、誠に申し訳なく思います。次号での訂正を依頼します。
加えて翌日、会場を辞す直前に前夜の話題を振ってみところ、岸本道昭さんのもとには、「なぜあのような論文を掲載したのか」という問い合わせ、苦情、重大な疑念が刊行直後から寄せられていることを知りました。なかには「これ、考古学の論文なの?」との根源的な疑念の声さえあったそうです。大久保徹也さんにいたっては「あなたに今更何を言っても聞かないだろうし…」との諦め口調。山本悦世さんからも「だから方法論をもっと丁寧に説明しないと…」とのご忠告を受けました。でも20頁に収めつつ主張内容を展開するためには相当圧縮しないとしょうがなかったのです。
ところで、この場を借りて事実関係を弁明しておきます。拙著が『考古学研究』に掲載されたのは、私が2012年度まで長らく常任委員であったがゆえ、ではありません。身内贔屓では決してなく、むしろ常任委員からの投稿原稿だからこそ、慎重に慎重を期しての査読を経ましたし、掲載に関わる審議も(私はそのとき退席させられた形で)厳正に行われたはずの、その結果です。
常任委員からの投稿論文であっても、手続きは他の投稿論文とまったく同列に扱われ、複数の査読者(もちろん、査読者が誰か私は知りません)の判断に依拠しつつ、平均10ヶ月をかけて採否が決せられているのです。今回の拙文についても9ヶ月でした。こうしたプロセスの公正さには、特に気をつかっています。このことだけは是非とも申しあげておかねばなりません。
さらに複数誌での査読経験からいえば、査読者からの評価は4段階程度に分かれます。最上位は「即掲載可」、最下位は「返却が妥当」であり、中間に「要修正」が程度に応じてはさまります。双方の査読者の評価が揃っていれば査読を完了し、評価値が大きく異なる場合には第3の査読者を立てて再度評価を依頼することになります。編集担当の委員のなかからも専門分野の近い研究者が熟読します。査読者や熟読者は、当然投稿論文の本文内で示された先行研究や、著者の関連文献に逐一当たります。
特に論拠となる重要な部分については、相当入念に点検します。その上での評価ですから、査読というのは非常に疲れる作業ですし、加重な負担となります。こうした査読を終え、著者からの再提出を受けるという手続きなのです。
そのうえで、考古学研究会の場合には常任委員会の審議を経て最終結論が出されるのです。この間の手続きに要する時間が、上記の平均10ヶ月となるわけです。私の場合にどのような経過を経たのかについて、もちろん委細は知らされていません。査読者からの修正要望意見や、編集委員会からの要点検事項が細かく知らされたうえで、私から再度原稿を提出し、受理されました。
そのことから推測しますと、私の投稿論文については、最上位から2番目の評価というところで一致した可能性があるものと推察されるにとどまります。拙著の末尾に記された「2012年11月10日受理」との記載は、査読から微調整、再提出を経て、最終的に常任委員会で「掲載可」との結論が出た日付です。このような経緯であることを改めて記しておきます。
ですから、この間の経緯を別の側面からみれば、常任委員会や編集委員会の裁量権が、じつはあまり発動できないシステムであるともいえるでしょう。ようするに査読を通ってしまえば、編集委員会はもとより常任委員会で、その査読結果を覆すことなど不可能に近いといえるのです。
さて本題に戻しましょう。岸本さんからは「Hさんも当然厳しい反論を予想されているでしょうから、論争が誌上で活発になれば、それは会としても歓迎すべきことです」との、さすが代表委員ならでは、のコメントをいただきました。しかし即座に大久保さんから「でも論争は紳士的かつ生産的な方向でよろしく!」との補足が入りました。旧友というのは、これだから困ります。ともかく今後誌上での論争が展開されるのであれば、私にとっても大歓迎です。
そのような次第で、本ブログの読者のみなさまのなかに、拙著への反論執筆を希望なさる方や、今後繰り広げられるであろうと予期される論争に関心をお持ちの方がいらっしゃれば、さらにそうお思いの方の中に、まだ考古学研究会に入会なさっていない方がいらっしゃれば、是非入会をお願いします。
私もすでに常任委員ではなく一会員ですし、論争は本誌上で繰り広げられることになりますから。考古学に興味のある方であれば、「専門家」でなくとも自由に入退会可能な考古学研究会です。前身は「私たちの考古学」。敷居を取り払いつつ、学術水準を高度なところに維持したいと願いつつ運営されている学術団体です。委細は同会のHPなどでご確認ください。
そして学生の皆さんには、在学中だけでも構いません。入会を強くお勧めします。年会費3,200円で4冊が自宅に届くのですから、出費は比較的安いはずですし、なによりも今回の私のケースと同じく論文や研究ノート、さらには展望記事、会員通信などへの投稿権が手に入るのです。今年の松本建速さんや寶満君のように、ポスターセッションへの参画権も自動的に与えられます。
そうした参画権をもつ、あるいはそのような権限を保持しつつ会誌を読む、という日常生活、それが専門家への第一歩でもあるのですが、そのような生活を一度体験してみてはいかがでしょうか。もちろん投稿論文には査読というハードルがあります。そのハードルは決して低くはないものと思います。しかしみなさんの卒論や修論を『考古学研究』誌に投稿する権限も与えられるのですから、チャレンジしない手はありません。ネット上で発信される「言葉」と活字とでは、実感において次元の異なる意味をもつことを体験していただきたく思うのです。
もちろん、みなさんの大学で『考古学研究』は、ほぼ例外なく定期購読されている学術誌のひとつでしょう。ですから大学に出向いて関心のある記事だけを拾い読みすることも可能です。私の勤務校でもそのような環境を整えています。
しかし現在は、そうした環境が今後保証されないかもしれない、危機的な情勢へと着実に向かいつつあることも事実です。会費収入によって刊行が支えられている学会誌ですから、会員数の減少が下げ止まらないことには、会誌の刊行が危ぶまれる事態になるのです。会費の値上げになることは是非とも避けなければなりません。最悪の負のスパイラルに陥ってしまいます。ですからこの際、喜捨という意味でも構いません。今持ち直さなければ、今後が本当に危ういのです。
そのようなわけで、さんざんな悪評のもとにある拙著「話題作」を起点に、これから予期される論争の展開が、会員の増加につながればなによりかと思います。
ちなみに最上段の写真は西山古墳の前方部から後方部を見たところ、中段は「南の中心軸線」の起点であると私が考える百舌鳥古墳群中の石津ヶ丘古墳(履中陵)、下段の2枚は北緯34度33分17.2秒ラインの現状を写したものです。